2007年3月25日放送 ☆☆☆☆

 

エルガー作曲

 チェロ協奏曲ホ短調作品85

  チェロ:ジャクリーヌ・デュ・プレ

  指揮:ジョン・バルビローリ

  演奏:ロンドン交響楽団

  1965年8月 スタジオ録音

 

クラシックの曲は多岐の分野に分かれている。

交響曲や管弦楽曲などのオーケストラが主体になる曲,ピアノやヴァイオリンなどの器楽曲,その他にも歌曲やオペラ,合唱曲などがあるが,その中でオーケストラと独奏楽器によって演奏される多楽章からなる曲を協奏曲(コンチェルト)と言うが,この協奏曲の名演が生まれるためには,他の分野の曲と比較していくつかの要素が必要となってくる。

大まかに言うと,指揮者の力量やオーケストラの出来は他の分野と同様であるが,それに独奏者の力量とオーケストラとのバランスという要素が新たに加わるから難しい。

様々な協奏曲がこの世に存在しているが,上記の要素が全てマッチしている演奏となると,そう多くはない。

そして,それが完璧となると,ほとんど不可能と言ってよいだろう。

だが,例外はあるもので,ここで紹介するエルガーのチェロ協奏曲はそれである。

この演奏を聴くと,第1楽章の冒頭,第1主題を聴くだけでもその完璧さがわかるというもので,ほとんど演奏の解説の必要はないと思う。

このような完璧な演奏が生まれるには,それなりの理由というものがあるのだが,この曲においてもいくつか挙げられる。

まず第1に,イギリスの作曲家エルガーが作曲した曲を,イギリス生まれの指揮者バルビローリが指揮し,イギリスのソリストのデュ・プレがチェロ独奏で,イギリスのオーケストラのロンドン交響楽団の演奏で,イギリスで録音しているというところである。

このようなカップリングが名演を生み出す要素になり得るが,もちろん例外もある(後述)

第2に,指揮者のバルビローリであるが,彼は文字通り当時の世界を代表する指揮者の1人で,イギリス生まれの彼は,特にイギリス音楽に造詣が深く,エルガーを殊の外得意としていた。

バルビローリは,元々オーケストラ(クィーンズ・ホール管弦楽団:イギリス)のチェリストであったのだが,この曲の初演が行われたのが1919年で,作曲者自身の指揮でクィーンズ・ホール管弦楽団がオケを担当した(チェロ独奏はフェリックス・サルモンド)

つまり,初演時の演奏にチェリストとしてオケに参加していたということが重要になってくる(後述)

第3に,チェロ独奏のデュ・プレであるが,16歳にしてレコードデビューを果たした彼女のデビュー盤がこの曲で(指揮者もバルビローリで,1961年の録音),彼女にとって思い入れの強い曲であるとともに,悲壮感ある曲を得意としていた。

このようなマッチングにより,エルガーのチェロ協奏曲は他のどんな演奏があったとしても,この演奏があればその他の演奏は必要がないほどの歴史的な録音なのである。

第1楽章冒頭のソロの力強さと歌の幅の大きさや,第1主題が次第に高揚していくその美しさなどを,この部分だけでも聴けばおおかた理解いただけると思う。

それにしても,デュ・プレの技量と才能が,バルビローリの指揮に非常にマッチしており,協奏曲においてこれほど指揮者とソリストが融合している演奏も珍しいのではないだろうか。

特にバルビローリの演出は心憎いほどであるが,これは前記したとおり,初演時のオケにチェロ奏者として参加していたことに起因するのではなかろうか。

バルビローリはチェリストを志ながら,その願いは叶わなかったのであるが,ソロとオーケストラの共演となるフレーズで,ソロよりオーケストラが出過ぎることはしていなく,特にこの曲などはその傾向が顕著に表れている。

さて,前記した,ある曲の作曲者の出身国の指揮者やオーケストラが演奏する場合は,名演が生まれる可能性が高くなるのは想像しやすいが,これには例外もある。

例えば,レスピーギのローマ三部作を例に取ると,レスピーギはイタリアの出身であるが,この曲の名演となるとイタリア出身の指揮者ではトスカニーニくらいなものであろう。

その他の名演となると,他の国の指揮者やオーケストラの組み合わせが多い。

エンリケ・バティス(メキシコ出身)指揮のロイヤル・フィル(イギリス)の演奏や,エフゲニー・スヴェトラーノフ(ロシア出身)指揮のソヴィエト国立交響楽団(ロシア)の演奏,さらにはリコ・サッカーニ指揮(アメリカ人:イタリア系ではあるが)のブダペスト・フィル(ハンガリー)の演奏などがそうであり,このことからも多くの例外があるとおわかりいただけると思う。

まぁ,これだからクラシック音楽は奥が深く,面白いのであるが。