<推薦評>
私は,元気がないときや落ち込んでいるときに聴く曲というのがあります。
ベートーヴェンの交響曲第7番第4楽章(決して第2楽章は聴くのをやめましょう)やチャイコフスキーの交響曲第4番第4楽章などがありますが,グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲もその1つです。
前者の2曲は,ある意味でどの指揮者の演奏でも良いのですが,後者の「ルスランとリュドミラ」序曲については,エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮のものでなければなりません。
放送を聴かれた方はわかると思いますが,この演奏はパワー全開でスピード感溢れる,ムラヴィンスキーのオーケストラ・ドライヴが前面に出て,しかもレニングラード・フィル合奏能力といい,聴いた後は汗がにじむほどの演奏なのです。
例えるなら,「贅肉をそぎ取ったスプリンター(短距離走者)」あるいは「土俵際まで一直線の開始2秒で寄り切りの朝青龍」という感じでしょうか。
冒頭のフレーズから,「この速度で入っていいのですか?」と疑うほどのスピード感,弦楽器は縦線(楽譜の縦線)がぴったりと合っていて,パワー溢れる金管に,天に届くほど激しいティンパニ,最後まで手を抜かない推進力。
この演奏を聴いてしまうと,他の「ルスランとリュドミラ」序曲を聴くことができないほどです。
もっとも,比較される演奏がかわいそうであるが・・・。
あえて注文をつけるとしたら,録音が良くないこと,中間部においての優美さは感じられないことである。
録音については,当時のソヴィエトの録音は,西側諸国と比較して,比べものにならないほど悪く,この演奏についてもステレオ録音であるが,決して鮮明とは言い切れず,さらには冒頭のフレーズがフェードインしているような感があります。
ただ,そんな録音でありながらも,曲の情報がマイクに入りきっており,40年たった今でも演奏者の意志が大いに伝わっている。
中間部の優美さについては,この曲に対してのムラヴィンスキーの考え方が,むしろ優美さに力点を置いていないわけで,優美さを削ぎ取ることの勇気に注目すべきである。
いずれにしても,この演奏を超える演奏は,脱個性派時代の背景を考えると難しい状況であるのが寂しい限りである。
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