2006年9月17日放送 ☆☆☆ ★★

ショスタコーヴィチ作曲

 交響曲第6番ロ短調作品54より第3楽章

  指揮:エフゲニー・ムラヴィンスキー

  演奏:レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

  1962年2月 ライヴ録音

<推薦評>

 この曲は,文字通りショスタコーヴィチが作曲した6番目の交響曲である。

交響曲第5番「革命」で,ソ連政府が強制する社会主義リアリズムへの作風転換があったあとの交響曲だけに,多分注目がされていたと思われる。

しかも作曲時期が第2次世界大戦が勃発した1939年であり,ソ連政府の思惑が影響しかねない状況下での作品であった。

交響曲は,通常,4楽章形式を取ることがほとんどで,第1楽章がソナタ形式,第2楽章が緩徐楽章(ラルゴやアダージョなど),第3楽章がスケルツォ(あるいはメヌエット,アダージョ,アレグロなど),そして終楽章となる第4楽章が終局として古くはプレストであったり,いわゆる最後の盛り上げをするわけですが・・・。

この交響曲の場合,第1楽章がラルゴ,第2楽章が3拍子系のアレグレットで,第3楽章が2拍子系のプレストという3楽章形式となっております。

つまり,一般的に言う第1楽章のソナタ形式がなく,しばしば「頭のない交響曲(第1楽章の欠けた交響曲)」と言われております。

当然,曲としては短く,第9番に次いで短い交響曲となっております。

第1楽章が曲の半分以上の時間を費やす形となっており,そういった意味でもバランスに欠けているのかもしれない。

さらに,この曲を全曲通して聴いてみると,特に第1楽章,第2楽章が第5交響曲の雰囲気を持っていることが分かる。

さて,ここで取り上げる第3楽章はどうでしょう・・・。

暗い曲ばかり作っているショスタコーヴィチの印象が吹き飛んでしまうような雰囲気を持っており,その点では第9交響曲と同様である。

第3楽章は,導入部こそ第2楽章に引き続き,暗い狂騒的な印象で始まるが,次第に明るい健康的な曲に変化していき,演奏によってはスピード感溢れる曲想になるのである。

そして,コーダに突入すると「ど派手な」意味不明の明るさがさらに強くなり,最後は大団円となる。

まぁ,簡単にいうと,最後はお祭り騒ぎになるわけである。

実は,この曲を聴く際には,この短い第3楽章をどのように盛り上げて,どのようにお祭り騒ぎにするかというのが焦点になってくるわけで,その点,ピアノ協奏曲第2番に通じるものがあると言って良いだろう。

このムラヴィンスキーの演奏は,正に上記のポイントを見事に押さえている演奏で,聴いていて飽きない。

金管の強奏はロシア・オーケストラならではであるし,第3楽章で使用されるタンバリンについても,楽譜にない場面で付加しており,盛り上げるのに一役買っている。

しかも,そのスピード感はさながらF1のようで,「鋭くコーナーを曲がるステアリング裁き」という比喩が当てはまり,この演奏を聴くと,同じムラヴィンスキーの指揮のグリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲と重複してしまう。

ただ,ルスランの場合,他の指揮者にこのような演奏を真似できる者のはいないが,この交響曲は私が知っている限り1名だけいる。

コンドラシン指揮,モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団の同曲日本初演の際の演奏で,最後のお祭り騒ぎは尋常ではなく,特にコーダ以降のティンパニの強打が激しく日本初演ということもあり,曲の反応もあっけにとられている様子で,拍手すら入っていない(3楽章形式ということが分からなかったのかもしれないが・・・)

いずれにしろ,両者の演奏は,曲の特徴を最大限活かしたものであり,ティンパニの派手さでは劣るものの,オーケストラの出来の良さからムラヴィンスキーに軍配が上がる感じである。

最後になるが,この曲の世界初演はムラヴィンスキーが作曲年に行っており,第2次世界大戦開戦と第3楽章の内容を鑑みると,何とも合致しない不思議な曲である。