![]() |
チャイコフスキー作曲 |
<推薦評> スヴェトラーノフの特徴である「とてつもない重量感溢れる演奏で,オーケストラを大音量で豪快に鳴り渡らせ,怒涛の興奮を聴衆に与える」という意味では,この演奏もこの特徴が表れている演奏である。 NHK交響楽団第1328回定期公演のライヴ録音であるが,あのN響がこのような重量感ある演奏ができるとは・・・,というのが最初の感想の一つでもあった。 もっとも,スヴェトラーノフの手兵であり自身が「我が子」と称したロシア国立交響楽団(旧ソヴィエト国立交響楽団)には到底かなうものではないが,日本のオーケストラとしてはその迫力の出し方では大健闘と言える。 スラヴ行進曲については,その作曲の背景は,決して政治的な人間ではないチャイコフスキーが,1876年にバルカンで勃発したセルビアとトルコの戦争には,心を痛めていたようで,この戦争には最初は冷静でいたようだが,スラヴ民族の支援のためにロシアが参戦した際に,知り合いの女性の息子までがセルビアに出兵することとなったため,この戦争を強く意識し始め,負傷兵支援を目的とした慈善演奏会のために,何と1週間で書き上げたのがこの曲である。 セルビアの民謡と帝政ロシアの国歌を主要主題にしており,大変力強い行進曲となっており,初演の際の聴衆の中には泣き出すものもいたと言い伝えられている。 さて,演奏の内容であるが,同じスヴェトラーノフ指揮のロシア交響楽団とのスタジオ録音(1992年)とは別人のような演奏である。 ロシア交響楽団とのスタジオ録音は,快速演奏で,全盛期の元気もりもりのスヴェトラーノフ節が堪能できるものであるが,N響とのこのライヴはスローテンポで曲を押し進めていき,まるで一音一音を確かめるように曲を進行させていながら,それでありながら迫力を失わず,コーダ以降はテンポを上げ,盛り上げていくところは役者「スヴェトラーノフ」と言える。 晩年のN響との演奏ではしばしば見られるテンポの遅さが,この曲においても顕著に表れている。 並の指揮者と非力なオーケストラのカップリングで,このようなテンポを設定した場合には,曲自体の意味なすものがなくなってしまうであろうが,N響も指揮者との関係が非常に良好である証拠に,スヴェトラーノフの指揮を懸命に支えているのが伺える。 晩年のスヴェトラーノフのスタイルで,N響がこのような演奏で示すことができたこと
|