2005年9月18日放送 ☆☆ |
カリンニコフ作曲 指揮:テオドレ・クチャル 演奏:ウクライナ国立管弦楽団 1994年11月 スタジオ録音 |
<推薦評> カリンニコフは,34歳で早世したロシア生まれの作曲家で,当初は指揮者として活動するが体調を崩して引退し,以後死に至るまで作曲に専念した。 代表作は,この交響曲第1番ということになるが,戦前から時々演奏されることもあったが,ここ最近は特に人気が高まっている曲の1つである。 曲を端的に説明すると,ロシア歌謡の哀愁とロシア歌劇の劇的表現を取り入れた曲と言えよう。 と,偉そうに書いているものの,実はこの作曲家,この曲と知り合ったのは昔のことではなく,21世紀に入ってからのことで,正にクチャル盤が出会いであった。 以前の私のクラシックの聴き方はかなり偏っていて,好きな曲,好きな作曲家を聴き漁るというもので,ジャンルもやはり交響曲を中心とした管弦楽曲を好んで聴いており,必然的にCDショップへ行くとベートーヴェンやブラームス,チャイコフスキーなど「王道中の王道」の曲に手が出てしまうことが多かった。 21世紀になり,それまでよりは偏りがなくなり,特に最近は同じ交響曲であっても,シューベルトやシューマン,シベリウス,ショスタコーヴィチなどを聴くようになり,さらには歳とともに集中力と持久力がついてきたせいか,マーラーの後期交響曲やブルックナーもよく聴くようになり,相当幅が広がった気がする。 さらには,ここにあるカリンニコフやスクリャービンなどにも手を出し,交響曲分野では,ほとんどがテリトリーの範疇になったが,相変わらず他の分野,特にオペラや歌曲,室内楽等については,なかなか範囲が広がらないのが現状である。 前置きはさておき,カリンニコフの交響曲第1番については,前述のとおり,クチャル盤で初めて聴いたのであるが,正直このような作曲家を知らなかった自分に対し,情けなさを感じたほど曲が良かったことを今でも覚えている。 ロシアの作曲家らしさが前面に出ていて,その旋律の懐かしさなどは,どこかで聴いたことがあると錯覚してしまうほどであった。 特に第1楽章の主旋律などがそれで,カリンニコフが考え出した旋律を,端的に言えば繰り返しているだけなのであるが,不思議な魔力があり,繰り返し主旋律が演奏されるため,いやでも覚えてしまう。 広大なロシアの大地のイメージが容易にでき,そこには切なさと悲しみが縁取っており,それが決して古さではなく新しさを感じさせるもので,分かりやすく言えば青年の哀しみを連想させる,いわば早世したロシアの青年,カリンニコフの人生そのものではなかろうか。 第1楽章のフレーズは第2楽章,そして第4楽章でも登場し,劇で言うと「主人公が最初から最後まで登場し,広大なロシアの大地の中で,これ以上ない悲しみや傷を負い続ける怒濤のメロドラマ」って感じでしょうか(わかりづらい・・・)。 演奏については,指揮者のクチャル,オーケストラのウクライナ国立管弦楽団といい,クラシックファンでもあまり知られない(クチャルは最近,海外の激安CDメーカーのBRILLIANT CLASSICSでのショスタコーヴィチの管弦楽曲集,オケは違うもののニールセンの交響曲全集やドヴォルザークの管弦楽曲全集などで知られるようになってきた)キャスティングであるが,本CDのNAXOSシリーズでは一時期売り上げがナンバー1(HMVのネット販売では現在もナンバー1)になったことを鑑みると,決して演奏家の名においてトップセールスを記録したわけではなく,曲の良さが評価されたことが容易に推測できる。 しかし,実際の演奏を聴いてみると,決して悪くは感じさせなく,他に比べるものはないものの(現在スヴェトラーノフ盤を注文中),指揮者クチャルは変化球なしの直球勝負で爽快さを求めつつ,怒濤の攻撃を重ね合わせるその演奏は,正にこの曲を紹介するに十分な演奏ではなかろうか。 併せて,このCDは前述のとおり,NAXOSというメーカーから出ているのであるが,廉価版のメーカーで,1枚1,000円程度であるから,コストパフォーマンス的にもカリンニコフ入門書としても非常によいCDであると言えよう。 なお,本文中にも挙げたが,ニールセンの交響曲全集も力のこもったクチャルの演奏が聴くことができるし,ドヴォルザークの管弦楽曲集も同様にすっきりかつ迫力のある演奏を聴くことができることからも,指揮者がマイナーであることイコール演奏が悪い訳ではないことは,このCDなどでクチャルが証明している。 また,同じく本文中にあったスヴェトラーノフ指揮の本曲については,クチャルと同様またはそれ以上の演奏が期待できることから,番組内でも再び取り上げることとなると思われるので,お楽しみに。 |