2007年5月6日放送 ☆☆☆
ドヴォルザーク作曲
チェロ協奏曲ロ短調作品104より第3楽章
チェロ:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
指揮:小澤征爾
演奏:ボストン交響楽団
1985年12月 スタジオ録音
<推薦評>
誰もが疑わない,世界最高峰のチェリストであるムスティスラフ・ロストロポーヴィチが亡くなった。
また一人,真の芸術家であり巨匠と呼ぶに相応しい人がこの世を去ってしまった。
そのロストロポーヴィチが,生涯好んで演奏した曲が,ドヴォルザークのチェロ協奏曲であり,その録音群は,他の演奏と比較しても量・質ともに素晴らしく,この曲だけでも数多くの名演を残している。
ロストロポーヴィチのソロ演奏の記録(CDなど)は,ターリッヒ指揮チェコ・フィル盤(1952年),ボールト指揮ロイヤル・フィル盤(1957年) ,ハイキン指揮モスクワ放送響盤(1957年),カラヤン指揮ベルリン・フィル盤(1968年),スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立響盤(1968年),ジュリーニ指揮ロンドン・フィル盤(1977年),小澤征爾指揮ボストン響盤(1985年)がある(他にもあるかもしれませんが,私の知っている限りではこの7種類)がある。
それぞれが名盤であり,特色があるので若干触れたいと思う。
ターリッヒ盤は記念すべき西側デビュー盤で,当時はかなりの衝撃があったことが容易に想像できるもので,現在記録に残っている録音としては一番古いものであるが,録音自体はモノラルであるが悪くない。
ボールト盤は比較的落ち着いた演奏であり,ハイキン盤も同様のスタイルであるが,前者の録音は良いが後者は当時のものとしてはかなり悪い方の部類に入るため,お薦めできない(ロストロポーヴィチの演奏記録としては貴重なものではあるが)。
カラヤン盤は巨匠同士のがっぷり四つの演奏で,指揮者・ソリスト・オケの3拍子が揃った大変な名演で,カラヤン嫌いの私も認めざるを得ない素晴らしい演奏。
スヴェトラーノフ盤は緊張感(様々な意味の)がすごい演奏で,カラヤン盤とは違った意味での3拍子が揃った演奏(オケの鳴り方は異常とも言える)。
ジュリーニ盤は,晩年の雰囲気のある味な演奏。
そして,番組でも紹介した小澤盤は,ロストロポーヴィチにおけるこの曲の終着駅の感じがする落ち着きと深い感情が入り乱れた演奏である。
ロストロポーヴィチ曰く,「これ以上の演奏はできないので,この録音を最後に同曲の録音は引き受けない」と語ったことはあまりにも有名である。
特にこの第3楽章は,序奏後の力強いロストロポーヴィチ節が全開で,コーダの最後のソロまで緊張感が持続される。
確かに,ライヴ録音と比較してスタジオ録音はおとなしい雰囲気があり,この演奏も同様の印象は拭えないが,カラヤン盤同様出来は非常によいと思う。
ロストロポーヴィチと小澤征爾は旧知の仲で,2人の信頼関係が織りなす,絶妙なバランスは,他の演奏(指揮者)の追随を許さない。
数あるこの曲のCDの中でも,ロストロポーヴィチ・小澤盤,カラヤン盤は名盤中の名盤であり,対抗馬はフルニエ盤(セル指揮),同じくフルニエ盤(シェルヘン指揮),デュ・プレ盤(バレンボイム指揮)くらいしか見つからない。
ただ,過去にこの曲を数多く聴いてきたが,上記のロストロポーヴィチを含む数々の名盤が存在する中,最高の名演と私が選ぶとしたら,残念ながらCD化されていない演奏となってしまう。
それというのも,あの阪神大震災の6日後に行われた,1995年1月23日の小澤征爾指揮・NHK交響楽団(以下N響)の演奏会でのドヴォルザークで,ソリストはロストロポーヴィチである。
以前,NHKで放送されたものであり,「小澤征爾が32年ぶりにN響を振る!」と話題になった演奏会で,N響のリハーサル・ボイコット事件に端を発した両者が,久しぶりに共演することとなり,それに花を添えるようにソリストがロストロポーヴィチとなったのである。
この演奏は,ここで紹介したCD(スタジオ録音)と基本路線は変わらないが,阪神大震災の後のコンサートということもあってか,異常な緊張感に包まれた中で曲が進行していき,小澤のタクトにN響が真摯に答え,ロストロポーヴィチも気合いは入りまくりの超名演が生まれたのである。
得意のドヴォルザーク,そして因縁のN響との共演ということもあってか,指揮の小澤の気合いの入り方も尋常ではないが(しかも今では見ることができない指揮棒を持っている),当時68歳のロストロポーヴィチは,貫禄と豊かな歌心溢れて,聴く人の胸を打ち,往年のあざといくらいの節回しはなくなったものの,細部を曖昧にしない誠実かつ情熱的な演奏姿勢があった。
是非とも,CD化,いやDVD化を切に望みたいものである。