『卒業のはなし』

 卒業式シーズンが終了し,今年も多くの生徒が母校を巣立っていきました。私(筆者)は子どもがいないことから,「卒業式」のイメージは自分自身の学生の頃に遡ることとなります。

 私は,旭川市内の小学校,中学校,高校を卒業しており,雪解けが近く暖かな時期の印象があり,厳かな雰囲気の中,卒業式が執り行われた想い出があります。

 ここ数年,私が卒業した旭川市立忠和小学校の卒業式の前に行われる「同窓会入会式」に招かれ,同窓会長の代理として御挨拶をしておりますが,この小学校は,私が3回目の卒業生で,超マンモス校であったお隣の神居小学校から分離し,開校したもので,当時の新興住宅地であったことから,多くの子どもたちがこの学舎に通っていました。私の学年こそ3クラスであったが,後輩たちは5クラスあり,市内でも中規模の小学校であったのだが,現在は全ての学年が3クラスであるといいます。 それでも,校長先生曰く,旭川市内の小学校の中においては,生徒数がかなり多い学校の1つとのことで,旭川市も少子化の波が来ていることを実感させられました。

 最近の卒業式ですが,私の中では定番と言われる「蛍の光」や「仰げば尊し」などを歌った記憶と印象が深いですが,どうやら最近はそうではないようであります。1991年に埼玉県秩父市の中学校教員が作った「旅立ちの日に」という曲が人気が高いとのことで,道内の中学校では5校に1校ほど歌われているとのこと。また,旭川市立広陵中学校では,「旅立ちの日に」を長年歌ってきたが,今年は人気ロックグループのレミオロメンの「3月9日」という曲を歌ったそうであります。しかも,生徒の人気投票で決定したそうで,この辺も私やリスナーの皆さんの時代とは大きく様相が異なっております。「仰げば尊し,わが師の恩・・・」という歌詞は,今の時代や生徒の感覚には合わないのでしょうか・・・,先生(教員)も少々寂しさを感じているのではないかと推測いたします。

 さて,卒業は何も学生には限らなく,例えば旭川市役所では,市役所の屋台骨を支えてきた正に団塊の世代の方々が今年は112名が定年での退職を迎えられ,市民への全体の奉仕者としての役目を終えられ,第二の人生を様々な形で過ごされることと思います。また,最近では長野オリンピックのスピードスケート500m金メダリストの清水宏保選手や,大相撲の朝青龍関(理由はともかく)が現役を引退するのも,ある意味「卒業」であり,学校を卒業することだけではなく色々な場面でも「卒業」があり,その言葉を聞く度に寂しさを感じるのは私だけではないかと思います。

 最後に私事で恐縮ではありますが,この度7年間務めてまいりました旭川市役所観光課を「卒業」し,別のセクションへ異動することとなりました。しかしながら,番組の方は「卒業」することなく,変わらずお届けしますので,今後とも御贔屓に。

参考文献:北海道新聞2010年3月2日夕刊