『平和通買物公園のはなし』

 現在,旭川市には多くの観光客が来られておりますが,それと同時に行政関係者や経済関係者,はたまた政治家や地方議員と多くの視察者も来られており,その主たる目的は旭山動物園です。しかし,今から30年以上前にも,現在のように多くの視察者が来られていた時代もあり,その時の目的は全国初の恒久的歩行者専用道路(いわゆるホコテン)である平和通買物公園でありました。

 先日,旭川平和通商店街振興組合が,「hoccol(ほっこる)」という小冊子を発行しました。「hoccol」の意味は,「このまちを『歩行る』,このみちを『誇る』」という意味とのことで,なかなか語呂が良い。その冊子の内容は,季節毎に買物公園の楽しみ方,遊び方を提案・紹介することを目的だそうです。

 そもそも平和通買物公園は,昭和47年(1972年)にオープンした,全国でも先進的で画期的な取り組みでした。何せ,国道を封鎖して歩行者天国にするといったものなのですから。しかも,単に買物公園・中心市街地の活性化を目的としたものではなく,モータリゼーションの進行に対して「車社会からの開放」でありますとか,都市化が進む中での「自然との対話」でありますとか,人間関係が形骸化される時代において「人間性の回復」でありますとか・・・。この3つの趣旨を改めて考えますと,正に現代社会が抱える大きな問題ばかりであり,当時,このプランを考えた関係者の皆様の先見性に驚かされるばかりです。

 このような前代未聞の取り組みをしたことからも分かるとおり,旭川市には他の地域にはない発想やエネルギーそして英知が,元来宿っているのではないかと考えてしまいます。例えば,旭山動物園の行動展示であり,平成2年・平成12年の2度にわたり行われた「日本のまつり」であり,今年で50回目を迎える旭川冬まつりの世界最大の雪像の制作であり・・・。

 さて,今回発行された「hoccol」に,買物公園開園に関しての数々の逸話が掲載されており,当時の関係者の苦労が大変なものであったことが想像できます。開園当時の市長である五十嵐元市長は,『買物公園は完成したのではなく,出発したのだ。次世代の市民によって新しい夢を描いてゆけばよい』と言われたとのこと。開園前の多々の苦労に報いるためにも,買物公園というキャンパスにどのような絵を描くのかを考えつつ,改めて見つめ直し,郷土の「誇り」である買物公園を「歩行(ある)く」のも良いではないでしょうか。

 最後に,この買物公園の開園に当たって,前記のほかにも当時の開園に当たっての関係者の名言がありましたのでまとめてみました。買物公園開園への苦労や期待が伝わってきます・・・(「hoccol」より抜粋)

 

【その1】当時の商店街の理事長

 公園化に向けた実験許可を求めた最終会議の席で,各省庁の無情な対応に対して・・・

『士農工商という言葉は現代にも生きているのか。住民たちが自分のまちを住みよく美しくつくろうというのに,役所はなぜそれをつぶそうとするのか』

【その2】当時の市長

 公園化に向けた実験許可を求めた最終会議の席で,身内である消防本部の職員が「松の木の松ヤニにたばこの火が着いたら危険だ」の一言に対して・・・

『君は火消しじゃないのか!君たちが消せ!』

【その3】当時の市役所担当者

 当時の商店街の店主の8割が猛反対した際に,その店主たちに買物公園実現に向けての説明で・・・

『打算的でいい。儲けよう。税金の一部を取り返そう!』

【その4】当時の市長

 昭和47年6月1日の開園式の挨拶で・・・

『平和通は道路から公園に,ただいま変身しました!』