コンサート出没記

●2008年3月30日 尾高 忠明指揮 札幌交響楽団演奏会 

●2007年7月21日 フィリップ・ショルダン指揮

            PMFオーケストラ演奏会


2007年6月 4日 ジュリアード弦楽四重奏団演奏会


2007年3月13日 川畠成道ヴァイオリン・リサイタル

2007年1月17日 ラース・ウルリク・モルテンセン指揮・チェンバロコンチェルト コペンハーゲン演奏会


2006年12月 1日 アリス=沙良・オット&オーケストラ・アンサンブル金沢ストリング・カルテット


2005年10月26日 宮澤むじか ピアノリサイタル

●2006年 1月 7日 ヴァレリー・ゲルギエフ指揮
              マリンスキー歌劇場管弦楽団演奏会


ラース・ウルリク・モルテンセン指揮・チェンバロ
コンチェルト コペンハーゲン演奏会


2007年1月17日 19時〜

旭川市大雪クリスタルホール音楽堂

<曲目>

バッハ作曲

 チェンバロ協奏曲第1番BWV.1052

バッハ作曲

 チェンバロ協奏曲第4番BWV.1055

バッハ作曲

 チェンバロ協奏曲第5番BWV.1056

バッハ作曲

 チェンバロ協奏曲第3番BWV.1054

<感想>

 これほど完成度の高いコンサートを聴いたのは,私のクラシック音楽の愛好人生の中で初めての体験と言ってよいだろう。

 小編成の室内オーケストラを聴く機会にも,これまであまり恵まれていなく,代表的なものでドレスデン室内管弦楽団やリトアニア室内管弦楽団などで,しかも今回の演奏会は私のとって初めての古楽器オーケストラということもあって,聴きに行く前から期待感が多かったが,その期待に見事に応えた演奏会であった。

 また,チェンバロを聴く機会もあまりなく,さらにはバッハのチェンバロ協奏曲自体,有名な第5番や私の好きな第3番以外は,普段あまり耳にしていなかった。

 そのような中での今回のコンチェルト・コペンハーゲン(以下CoCoとする)のコンサートは,十分すぎるほどの満足感があったコンサートであった。

 今回は個々の曲について深く言及することを避け,指揮者,ソリスト,オーケストラに各パートに分けて印象を述べたいと思う。

 まずは,指揮者としてのモルテンセンに焦点を当ててみたいと思う。

 最初に感じた印象としては,何と言ってもバッハに対する,あるいは演奏曲目のチェンバロ協奏曲に対するモルテンセンの造詣の深さである。

 その深い造詣の賜物なのか,そもそもCoCoは総勢20名の室内オーケストラであるが,今回の演奏会においても起用しているのは12名のみであり,曲によっては7名という小編成での演奏としている。

 そのような小編成であっても,一般的にソロ・パート(ここではチェンバロ)が誇張されがちな協奏曲において,決してソロ・パートを誇示するのではなく弦楽器(オーケストラ)にもチェンバロ同様の脚光を浴びせることにより音楽的全体感を創造しているところが素晴らしい。

 次に,ソリスト(チェンバロ)としてのモルテンセンであるが,上記にも関わるものであるが,モルテンセンは単にチェンバロを力任せに扱わずに,かつ歯切れがよく,そして冷淡にならない演奏で,その結果,ソロ・パート(チェンバロ)とオーケストラがそれぞれ圧倒するのではなく,自由闊達な音楽を築き上げ,曲に輝きを与えることに成功している。

 最後に,CoCoであるが,普段から今回の演奏曲目をモルテンセンと共演し,曲を知り尽くして演奏されていることもあり,CoCoの信頼を勝ち得ているモルテンセンの指揮とソロ・パートの下で,純粋かつ魅力的な音色と強弱で,バッハのチェンバロ協奏曲を我がものとしている。

 CoCoの演奏を一言で言うと,「スマートで洗練された豊かな音色」といったところか。

 全ての曲があまりにも完成度が高かったことから,個々の曲についての言及はするつもりはないが,あえて2曲だけ若干触れたいと思う。

 まずは,この曲目の中では一番有名な第5番。

 コンサート第2部の最初の曲であったが,ホールの舞台に出てきたCoCoのメンバーはわずか7名で,モルテンセンを入れて計8名。

 確かに,この曲はおとなしい曲ではあるが,このような演奏は聴いたことがない。

 しかし,曲が始まると,7名のオーケストラで十分なことがすぐに理解できた。

 そして,特に第2楽章の何と典雅で格調の高いことに驚嘆した。

 この楽章は,ピツィカート奏法で進行するのであるが,見事なアンサンブルであった。

 次に,今回のコンサートの最後を締めくくった第3番。

 この曲が,元々ヴァイオリン協奏曲第2番を編曲したものであるが(ちなみにヴァイオリン協奏曲第1番はチェンバロ協奏曲第7番に編曲されているなど,バッハのチェンバロ協奏曲は他の楽器からの編曲がほとんど),特に第1楽章は,そのこの上ない明るさが素晴らしく,極上の演奏であった。

 そもそも,上記の通り,バッハのチェンバロ協奏曲は他の楽器からの編曲がほとんどで,一般的にはこの第5番もヴァイオリン協奏曲の方が魅力を発揮できているとの評価も多いが,この演奏を聴く限り,そのような評価を否定したいものである。

 さて,ここまでモルテンセン及びCoCoを褒めちぎっているが,それほどの内容のコンサートであったということである。

 ヨーロッパでは新興の古楽器オーケストラとして席巻しているとのことで,その噂通りのコンサートであった。

 特に,バッハのチェンバロ協奏曲を聴くのであれば,このカップリングがあれば他はいらないと思われるほどである。

 このコンサート終了後,当日の曲目であったバッハのチェンバロ協奏曲の第1集(2003年発売)及び第2集(2007年発売)を購入し早速聴いてみたが,スタジオ録音でありながらさながらライヴのようなアタックが聴くことができ,このコンサートの模様を思い出すのに十分なものであり,定番といわれているトレヴァー・ピノックの指揮・チェンバロ,イングリッシュ・コンサートやカール・リヒターの指揮・チェンバロ,ミュンヘン・バッハ管弦楽団の演奏をも凌ぐもので,私の愛聴盤に加わることとなった。

 このようなコンサートが,北海道で唯一,旭川で行われ,かつ音響的にも非常にマッチした大雪クリスタルホールで行われたこと自体称賛に値しよう。

 次の機会があれば,是非また旭川に呼んでもらいたいものである。

 最後に,私の音楽愛好家としての人生の中でも,このような極上のコンサートを聴くことができたのはこの上ない喜びで,この至福な機会を与えてくれた大雪クリスタルホールに感謝したい。

<ラース・ウルリク・モルテンセン プロフィール>

 ラース・ウルリク・モルテンセンは,世界の古楽をリードするハープシコード奏者・指揮者。

 CDの録音で贈られた数々の賞にはディアパゾン・ドール,カンヌ・クラシカル賞,デンマーク・アカデミー賞などがある。

初めてピアノ椅子によじ登った3歳のときからずっと,クラシック音楽はモルテンセン伴侶であった。

デンマーク放送少年合唱団で歌い,コペンハーゲンの高等学校で音楽を専攻した。高校卒業後数年間ロックバンドで活躍し,トム・マックエヴァンなどと共演した。

大学に入って音楽理論を勉強し始めた頃,イギリスのヴァージナル(小型のハープシコードの一種)音楽について書かれた本に出遭い,その魅力の虜になった。

その本の中で描いている音楽は,それまで鍵盤楽器の中で唯一演奏したことのなかった楽器・ハープシコードへとモルテンセンを導いていった。こうして彼はハープシコード奏者になろうと決心したのである。

コペンハーゲンのデンマーク王立音楽アカデミーで勉強した後,ロンドンへ渡りトレヴァー・ピノックのもとで学んだ。

その後数年間,ヨーロッパ,米国,メキシコ,南米,日本でソロとアンサンブルのコンサートを重ねた。

1988年から1990年まで古楽アンサンブルのロンドン・バロックと,また1993年までコレギウム・ムジクス‘90と共演した。

その後ドイツのミュンヘンへハープシコード科教授として招かれ,教育とコンサート活動を行った。

1999年,コンチェルト・コペンハーゲンの音楽監督に任命されて,故国デンマークへ帰った。

翌年から,コペンハーゲン王立劇場で精力的な活動も行い,2002年にはヘンデルの「ジューリオ・チェーザレ」を上演した。

王立劇場ではこのほかモーツァルトの「イドメネオ」,「フィガロの結婚」,「皇帝ティトゥスの慈悲」,ロッシーニの「セビリヤの理髪師」,モンテヴェルディの「ウリッセの帰郷」と幅広いオペラの上演も行った。

現在,モンテヴェルディ,ヘンデル,ラモーのオペラ上演が予定されている。

モルテンセンとコンチェルト・コペンハーゲンは,バッハのハープシコード(チェンバロ)協奏曲集第1巻(2003年)とハルトマンの交響曲集(2005年)のレコーディングで2度,デンマーク放送DMA/P2賞を受賞した。

本年(2007年),バッハのハープシコード(チェンバロ)協奏曲集第2巻のCDが発売された。

<コンチェルト・コペンハーゲン>

 今回,初来日となったコンチェルト・コペンハーゲンの愛称はCoCo(ココ)

1991年デンマークとスウェーデンの音楽家により結成されて以来,生き生きした魅力的な演奏で知られ,CDや行く先々で聴衆から圧倒的な支持と賞賛を受けている。

1999年,チェンバロ奏者のラース・ウルリク・モルテンセンが音楽監督に就任。

モルテンセンを首席奏者兼音楽監督に迎えて,CoCoはすばらしい芸術と音楽の航海に船出し,スカンディナヴィアの知名度の低い作品とバロック・古典の遺産とを結合することにより,伝統的なコンサート音楽にさわやかな北欧の香りを加えた。

 近年はエマ・カークビー,アンドレアス・ショル,ロナルド・ブローティガム,アンドルー・マンゼをはじめ,多くの古楽の名手たちと共演している。

コペンハーゲン王立歌劇場で定期的にオペラ公演を行い,先頃,アンドレアス・ショルをタイトルロール歌手に迎えてヘンデルのオペラ「ジューリオ・チェーザレ」を上演し成功を収めた。

 現在デンマーク国営ラジオと契約を結び,ほとんどの演奏が放送されている。高い芸術性を評価され,デンマーク音楽協議会の援助を享受している。


アリス=沙良・オット&オーケストラ・アンサンブル金沢ストリング・カルテット

2006年12月 1日 19時〜

旭川市大雪クリスタルホール音楽堂

<曲目>

モーツァルト作曲

 デュポールの主題による変奏曲K.573


ベートーヴェン作曲

 ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情」


モーツァルト作曲

 ディヴェルティメントニ長調K.136


モーツァルト作曲

 ピアノ協奏曲第13番ハ長調K.415(モーツァルト自身の編曲による)




<感想>

 非常にお得なコンサートであった。

というのも,上記のプログラムが示すとおり,前半のプログラムはアリス=沙良・オット(以下オットとする)のピアノ独奏によるリサイタル,後半プログラムは室内楽となっていることである。

1つのコンサートで,このようなピアノリサイタルと室内楽が聴くことができるのもあまりないため,これで3,500円はお得と言えるでしょう。

さて,まずは前半のピアノリサイタルについて記述しようと思う。

オットを生で聴くのは初めてであり,FMりべーるの私の番組でこのコンサートのPRをする際に旭川市大雪クリスタルホールからお借りしたCD(リストのパガニーニの主題による超絶技巧練習曲集ほか)で初めて聴いたが,その印象は「このピアニストは何歳だ?」というものであった。

それはなぜかというと,確かに若さが演奏に表れる部分もあるのであるが,一種の円熟した表現があちらこちらで聞こえてきたのである。

特に,そのCDに収録されているかの有名な「ラ・カンパネラ」や最後に収録されているハンガリー狂詩曲第2番がそれだ。

テクニック的にも申し分ないが,大人の表現に注目して,このコンサートを聴くことにした。

大雪クリスタルホールに表れたオットを見て,お借りしたCDのジャケット写真とは全く別の印象を持った。

背が高く,スレンダーで,とても10代には見えない「女性」なのである。

ドイツ人の父と日本人の母を持つ,いわゆるハーフなのであるが,顔は日本人,背格好はドイツ人という,ある意味理想的な容姿を持っていた。

まぁ,素晴らしい容姿のことはこれくらいにして,本題に。

最初の曲は,モーツァルト作曲の「デュポールの主題による変奏曲」であったが,正直,この曲は過去に接したことのない,初めて聴いた曲であったことから,何とも批評をしかねるが,第1変奏は若干堅めな印象を受けつつも,第3変奏や第4変奏はモーツァルトらしい自由闊達な表現に好感が持てた。

続いては,ベートーヴェンの「熱情」ソナタであったが,このべートーヴェンを聴く限りでは,どちらかというと若さが先行していつつも,その中にはドイツ音楽がしっかりと身に付いているという響きが印象的であった。

第1楽章及び第2楽章は,彼女が持ついかにもドイツ的な音楽が進行していくとともに,ピアノの響きが優秀なホールにマッチして好演であった。

第3楽章については,若さを前面に出している印象を受けたが,それでも随所に音楽の深さを感じさせる部分もあり,コーダ以降は凡庸なテンポを取らず,推進力に溢れるとともに,一つ一つの音も鮮明に浮きだたせていたことに感銘を受けた。

「熱情」の第3楽章コーダは,技術的にも難易度が高いのであるが,いとも簡単にこなしているところは,自身のテクニックを裏付けるものではないだろうか。

休憩後は,オーケストラ・アンサンブル金沢ストリング・カルテット(以下OEKとする)の四重奏で,モーツァルトのディヴェルティメントから始まった。

K.136のディヴェルティメントは,私も大好きな曲で,モーツァルト若干16歳のときの作品。

私が中学1年の頃,初めてクラシックのコンサートに行ったのが,旭川市民文化会館大ホールでの「ドレスデン室内管弦楽団(スターツカペレ・ドレスデンの室内オーケストラ)」のコンサートであったが,このコンサートの最初の曲がK.136のディヴェルティメントで,そんな思い出からも,私の番組の第1回(平成17年4月10日放送)に,最初にかけた曲でもあり,かなり思い入れの強い曲である。

 さらには,昨年
(平成18年)3月に,旅行で初めてオーストリアに行った際に,ザルツブルクやウィーンでのコンサートでも聴いた曲であった。

演奏内容については,正直言うと特筆すべきものはなかった。

この曲は,演奏の規模が小さくなればなるほど個性が求められ,また発揮しやすい曲なのであるが,残念ながら個性を見いだすことはあまりなかった。

第3楽章においても,リピートを行わないことにより,曲自身のスケール感が失われていた印象もある。

ただ,1stヴァイオリン(女性)の音色は称賛に値し,弦楽四重奏のまとまりとしては悪くなく,ホールの良さも助けてか,響きの点ではまずまずの演奏であった。

私にとって思い入れのある曲のため,どうしても辛口の批評になってしまうのは勘弁願いたい。

あて,OEKの良さについてあまり触れることができなかったディヴェルティメントと比較し,出来が良かったのがピアノ協奏曲第13番であった。

この曲は,モーツァルト自身がピアノ五重奏曲に編曲したものを採用し,演奏されたのであるが,ここでのOEKは,曲に活力を与えた表現が見事で,ピアノ独奏をしっかり支えている印象を受けた。

それにしても,オットの大人の表現力はここでも健在で,特に第2楽章についてはしっとりとピアノを聴かせるのは,ただ者ではない。

とても18歳にできる表現ではなく,アンコール1曲目もこのコンチェルトから取り上げたが,こちらも大変満足する演奏であった。

アンコールは,上記コンチェルトとオットの独奏で,リスト作曲の「ラ・カンパネラ」(パガニーニの主題による超絶技巧練習曲集より)であった。

さすがにCDまで出しているだけあって,曲がすっかり自分のものになっており,テンポの揺らし方などは手慣れたものであり,今まで聴いた同曲の中でも(CDを含む)最上位に位置すると言っても過言ではない演奏で,これまた大人を感じさせる清純な演奏であった。

 いつもながら感じることであったが,大雪クリスタルホールの透明感ある音響にピアノや室内楽はマッチしており,ライヴならではの音響に満足した。 

アリス=沙良・オット プロフィール>

 1988年8月,ドイツ人()と日本人()の両親のもと,ミュンヘンに生まれる。

 4歳から本格的にピアノを学び,わずか5歳で最初のコンクールに入賞。

 1995年ドイツ連邦青少年音楽コンクール第1位受賞を皮切りに,1997年スタインウェイ国際コンクール,1998年イタリア・リゲティ国際コンクール優勝,1999年ハンブルク音楽ホール・スタインウェイ・コンクール第1位,並びに観客特別賞受賞。

 2000年グロートリアン・シュタインヴェーク国際コンクール,2001年及び2002年のミュンヘン・カールラング・コンクールで全て第1位受賞。

 2003年リンダウ・ロータリー・ヤング・ミュージック・コンクール,ケーテン・バッハ・コンクール第1位受賞(後者では市長特別賞も併せて獲得する)

 早くから天才ピアニストとして注目され,ミュンヘン,ドレスデン,ウィーンなどで演奏会に出演するほか,ザルツブルク音楽祭,ライプツィヒ・バッハ音楽祭,ブラウン・シュヴァイク・クラシック・フェスティバル,ハノーファー万国博覧会等,著名音楽祭からも数多く招かれている。

 2003年には,バイロイト音楽祭に特別出演,リヒャルト・ワーグナー愛用のピアノで,リストの「パガニーニの主題による超絶技巧練習曲」全曲を弾き切り,バイロイト市長から顕彰を受ける。
 アルフレート・ブレンデル,ラルス・フォークト,中村紘子など,多くの第一級ピアニストから絶賛を博しており,2004年にはファーストアルバムも発表し,将来が嘱望される逸材である。

 2005年2月に本格的な日本デビュー・リサイタルを開催,9月にはアヌ・タリ指揮,札幌交響楽団に客演して大成功を収める。

 同年11月,名門キーロフ国立フィルハーモニー交響楽団日本ツアーのソリストとして,東京芸術大学奏楽堂に登場。

 引き続き2006年には日本録音によるCDリリース等が予定されている。

 現在,ザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学招待奨学生として,カール=ハインツ・ケマリング教授に師事。


 <オーケストラ・アンサンブル金沢ストリング・カルテット>

 日本を代表するオーケストラの1つのオーケストラ・アンサンブル金沢のトップ奏者によるカルテット。

 楽団本体は,1988年に世界的指揮者の故岩城宏之氏を音楽監督に迎え創設され,多くの外国人を含む40名が在籍し,北陸,東京,大阪,名古屋の定期演奏会はもとより,11回におよぶ海外公演を行って高い評価を獲得している。

 委嘱作品,ジュニアの指導,邦楽との共同制作など意欲的な取り組みを展開し,優秀な音楽性を背景にした室内楽演奏も各地で賞賛を博している。

(以上,パンフレットから転載)


宮澤むじか ピアノリサイタル

2005年10月26日 19時〜

旭川市大雪クリスタルホール音楽堂

<曲目>

ショパン作曲
 ノクターン第1番変ロ長調作品9の1

ショパン作曲
 ノクターン第3番ロ長調作品9の3

シューベルト作曲
 即興曲集D.946

フォーレ作曲
 ノクターン第1番

フォーレ作曲
 ノクターン第4番

ドビュッシー作曲
 前奏曲集第1巻より抜粋(6曲)

<感想>

 宮澤むじかさんの今回のリサイタルのビラを見たとき,「若いなぁ」って思う私は歳なのでしょうけれど,本当に若く見えたんです,容姿が。

 ところが,当日の演奏曲目は,決して若さが前面に出すような曲目じゃないので,どのような音色や演奏が聴けるのか,別の意味で注目をしながらのリサイタルであった。

 最近の日本の若い演奏家,特にピアニストについては個性がない人が多いが,宮澤むじかさんも同じように個性がないのかなぁ・・・,と思っていたが,実際の演奏を聴いてみると余計な心配であった。

 特に私は,個性派の指揮者や演奏家を好んで聴いていることから,その点においても今回のリサイタルは期待以上のものであった。

 当日の曲目全体を通じて言えることであるが,大人の雰囲気を醸し出しながら,自身の曲の奥底から感じたものを素直に表現しており,特にシューベルトの即興曲の気迫はすばらしいものがあり,この若さで日本人とは思えない表現力とダイナミックさにも感嘆した。

 ショパンのノクターンは,第1番についてはリサイタル最初の曲ということもあり緊張感があって,曲に乗れていない感じで始まったものの,すぐに調子を戻し,第3番においては,本来の多彩な表現力が出ている好演であった。

 シューベルトの即興曲については,前述のとおり気迫を感じさせる力演で,強い感情移入もあり,個性的な演奏であった。

 後半のフォーレのノクターンも,曲全体のベクトルが常に前を向いている印象を受け,印象派が多少苦手な私も,素直に聴くことのできる演奏であった。

 最後のドビュッシーの前奏曲は,豊かな色彩感に溢れ,大胆さと繊細さを兼ね備えた演奏で,本人が得意としている曲であろうということが容易に想像できる,当日の演奏の中ではシューベルトと並んで秀逸していた。

 今回のピアノリサイタルについては,私にとって,久しぶりのピアノリサイタルであり,私自身が良い意味で緊張感を保って聴けたことも,印象を良くした要因ではないかと思うが,いずれにしても,次の宮澤むじかさんのリサイタルの機会もコンサートホールに足を運びたくなるような演奏会であった。

 最後に,宮澤むじかさんの演奏内容にも満足したが,昔からヤマハの音で育ってきている宮澤むじかさんだけに,そのヤマハの音色を十分に活かしたリサイタルで,併せて,相変わらず大雪クリスタルホール音楽堂とピアノの相性が良く,聴く者を満足させる内容のリサイタルであった。

<宮澤むじか プロフィール>

3歳よりピアノを始め,日本の各種子供コンクールに入賞。

13歳で札幌フィルハーモニー交響楽団とモーツァルトのピアノ協奏曲「戴冠式」
を共演。

1993年にクロアチアでのザグレブ国際ピアノコンクールで優勝,及びクロアチア人作品の最優秀演奏者賞を受賞。

1996年より渡仏しエコールノルマル音楽院に入学。

1997年にピアノ科の最高課程ディプロマを,1998年に室内楽科の最高課程ディプロマを,1999年にピアノ科の演奏家資格試験を全て審査員満場一致で取得し卒業。 

その間,1998年にポルトガルでの第15回ポルトー国際ピアノコンクールで第4位,並びに最年少ファイナリスト賞を受賞したほか,ポーランド,クラコフ市のパデレフスキー記念館でのリサイタルを始めフランスを中心にヨーロッパ各地で演奏会を行う。

またこれまでにザグレブ国立放送交響楽団,ポルトー国立管弦楽団,キエフ交響楽団,ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団などとも共演。

2001年にパリ・スコラカントゥルム音楽院の高等ディプロマを審査員満場一致の首席で取得。

2002年,パリより帰国し,現在札幌を拠点に演奏活動を行っている。

これまでにピアノを上杉順子,宮澤功行,マリアン・リビツキーの各氏に,室内楽を竹本利郎,セルジュ・ブラン,ニーナ・パターチェックの各氏に学んだほか,ピョートル・パレチニ,ジャック・ルビエ,ジャン・ファシナ,ハリーナチェルニー・ステファンスカ,レフ・ナウモフ等各氏のマスタークラスを受講する。


ヴァレリー・ゲルギエフ指揮

マリンスキー歌劇場管弦楽団演奏会

2006年1月7日 17時

札幌コンサートホールKitara

<曲目>

チャイコフスキー作曲

 バレエ音楽「くるみ割り人形」作品71より抜粋

マーラー作曲

 交響曲第5番嬰ハ短調

<感想>
 少々長めになりますが,思い入れのある演奏会(指揮者)なのでお許しをいただき・・・。
現在の現役指揮者の中で,音楽性に富んで,私が一番期待をしている指揮者が,ヴァレリー・ゲルギエフである。

 過去に,様々な指揮者の演奏会を聴きに行く機会があったが,今回ほど期待感が高い演奏会は初めてである。
 実は,ゲルギエフの演奏会は今回3回目で,一昨年のロッテルダム・フィルの札幌公演,PMFの札幌公演と,1年に2度も聴く機会に恵まれ,その内容が大変すばらしいものであったことから,今回の期待感につながったものである。

 過去の2回の演奏会について,若干触れたいと思う。
 初めてゲルギエフの演奏に接したロッテルダム・フィルの札幌公演は,今まで聴いたどの演奏会よりも,そして多分私の音楽愛好家人生の中でも,もっとも印象深い演奏会の一つになることは間違いないほどのものであった。

 プログラムは,プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」組曲とムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」であった。

 前半のプロコフィエフの曲については,普段からあまり聴いていない曲であったため,事前に勉強をしてから望んだのであるが,事前に聴いていたCD(スクロヴァチェフスキー指揮)の演奏を遙かに超えた,壮大で奥深い演奏であった。

 後半のムソルグスキーは,ゲルギエフ指揮のライヴ録音のCDウィーン・フィル盤(ちなみにウィーン・フィルの展覧会の絵のCDは極めて少なく,プレヴィンが指揮をしたもの以外はないはず)を持っており,名演であったことから期待度が高かった。

 実際のライヴを聴くと,美しい部分はひたすら美しく,激しい部分は激しく,そして立体感あふれる響きが印象的であった。

 「ビドロ」の悲劇的な盛り上がり,そして「キエフの大門」の高揚感が何ともすばらしく,手に汗を握り顔は紅潮し(多分),全曲が終了したときには涙が出てきたほどで,「ブラヴォー」すらも言えないほど感動したとともに,CDでは味わうことのできない生のコンサートの良さや演奏の情報量の多さに驚嘆した。

 2回目のゲルギエフの演奏会はPMFの札幌公演で,プログラムはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とショスタコーヴィチの交響曲第11番という前回同様ロシア・プログラムでありました。

 特に後半のショスタコーヴィチがすばらしく,PMFの真摯な演奏ぶりにも感銘を受けた記憶が蘇ってくる。

 さて,そのような過去2回の演奏会を経験し,今回の演奏会を迎えたわけで,期待感が高かったのは当然と言える。

 さて,今回のプログラム前半は,チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」の抜粋であったが,組曲ではないのがゲルギエフの才能を示すのにむしろ良く,普段聴いているゲルギエフ指揮,マリンスキー歌劇場管弦楽団とのCDの出来からも期待したが,やはり期待どおり,いやそれ以上の演奏であった。

 ロシアのオーケストラの高いカロリーを出しつつ,暖かみのある音色も持ち合わせているという演奏で,聴き手を引きつけるような演奏であった。

 演奏を聴く限りでは,バレエ音楽というよりも,演奏会用組曲といった感があり(抜粋であったことから,実際の組曲で演奏される音楽は小序曲のみであった),その音楽を聴いて物語を想像する感覚で聴くことができた秀演であった。

 演奏予定曲(抜粋曲(パドドゥが演奏されなかった))が変わったことも気にすることはない感じであった。

 プログラム後半のマーラーの交響曲第5番は,手放しで感動できる内容となっていた。
恥ずかしながら,マーラーの交響曲を生で聴く機会が今までなかった私であるが,コンサートホールという空間でのマーラーを十分に堪能することができた。

 2000年以降は,マーラーの交響曲第3番や第9番などをレパートリーにしているゲルギエフであるものの,交響曲レパートリーと言えば,ロシア物のイメージがあるわけで,マーラーというプログラムには少々驚きがあったものの,逆に興味がそそられた。

 面白かったのは,前半のチャイコフスキーの際にあった指揮台が撤去され,平場での指揮となっていたことで,最初は理由がわからなかったが,指揮ぶりを見て納得せざるを得なかった。

 というのも,ゲルギエフが「飛んで」「跳ねて」という指揮の力の入れようであったからである(多分,理由は指揮台の音の問題!?)。

 第1楽章冒頭のトランペットのソロは特に意味深い表現をとらず(テンシュテットのように),むしろ新鮮な響きで軽快に始まったものの,その後の音楽は実に意味深く,洗練された響きを聴かせると同時に,厚みのある響きも持たせるなど,高いレベルでの演奏を繰り広げていた。
 ただ,ロシアのオーケストラのイメージがマーラーの交響曲にどのくらい栄えるのかと考えていたが,マリンスキー歌劇場管弦楽団は確かに高いカロリーはあるものの,「金管の咆哮!」などとならないのが意外であった。

 かつて2度聴いたモスクワ放送交響楽団(フェドセーエフの指揮)などと比較しても,カロリーが押さえられている印象で,同じゲルギエフ指揮のロッテルダム・フィルよりも押さえられているような気がした。

 しかし,ゲルギエフの持ち味ともいえる,野性味溢れる濃い演奏が展開され,しっかりとした絆で結ばれているマリンスキー歌劇場管弦楽団がタクトに見事に応えていた演奏でもあった。

 特に,トランペット・ソロとホルン・ソロ(第5楽章のミスはご愛敬)の出来映えも秀逸しており,初めての「生マーラー」,初めての「生マリンスキー歌劇場管弦楽団」の演奏を堪能し満足するのに十分すぎるものであった。

 それは,曲が終了した瞬間にため息となって現れた。



<ヴァレリー・ゲルギエフ プロフィール>

 1935年モスクワに生まれ,少年時代を両親の出身地コーカサス地方で過ごす。
19歳の時レニングラード(現サンクトペテルブルク)に移り,レニングラード音楽院でイリヤ・ムーシンに指揮を学ぶ。

 1977年カラヤン国際指揮者コンクールで最高位入賞し,その2年後マリンスキー劇場の指揮者のポストを手にし,1988年に若干35歳で芸術監督,1996年にはロシア議会から,オーケストラ,オペラ,バレエに関する完全な監督権を与えられた。
また1995年からロッテルダム・フィルの首席指揮者を兼任し,1997年にはメトロポリタン・オペラで首席客演指揮者のポストにも就いている。

 ロシア音楽芸術の復権に絶大な貢献を果たしているゲルギエフは,一方で西側の作品にも取り組んでおり,ロシアで長く途絶えていたワーグナー演奏の伝統を復活させて,マリインスキー劇場で「パルジファル」(1997年コンサート形式)を上演するなど,意欲的である。

 ニューヨーク・フィル,ウィーン・フィル,ロイヤル・コンセルトヘボウ管,ベルリン・フィルなどの世界の主要オーケストラとの演奏活動も精力的に行っている,世界でもっとも多忙な指揮者の一人。

 2004年にはPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)の首席指揮者も務め,今年もPMF首席指揮者を務める予定であり,2007年1月からは,ロンドン響の主席指揮者に就任予定。

 こうした精力的な活動と業績が認められ,1996年にロシア国民芸術賞を受賞,他にも数々の賞,勲章を授与されている。



<マリンスキー歌劇場管弦楽団>

 サンクトペテルブルク帝室歌劇場管弦楽団を母体に発展してきたロシア最古の楽団であり,2世紀を超える歴史を有している。

 その芸術を育ててきた芸術監督たちは数多く,エドゥアルド・ナプラーヴニク,ウラディミール・ドラジーニン,ユーリ・テミルカーノフとそうそうたる名前が連なる。

 また,エフゲニー・ムラヴィンスキーやエフゲニー・スヴェトラーノフなど,ロシアの指揮者のほか,カール・リヒター,フェリックス・ワインガルトナー,オットー・クレンペラー,ブルーノ・ワルター,エーリッヒ・クライバーなど,国外からも名指揮者たちを客演に招いている。

 現在は,1988年より歌劇場の芸術監督・首席指揮者に就任したヴァレリー・ゲルギエフに率いられ,ヨーロッパ各国をはじめアメリカや日本など,めまぐるしく駆けめぐる精力的な活動ぶりは,世界中の注目を集めている。



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